緊張しました、改選後の初質問

24日に一般質問を行いました。
 本会議場でひとり壇上に上がっての質問は何度やっても緊張します。今回は改選後の初質問ということもあったせいか更に緊張してしまい、途中から呼吸困難状態(!?)に陥ってしまいましたが、何とか乗り切ることができました。
今回取り上げた質問項目は大きく分けて以下の2つです。
①震災対策
②放射線問題に対する区の対応について 
 大震災発生時に災害対策本部が設置されるのは区役所本庁舎の防災センターであり、本庁舎が災害応急業務の拠点となります。平日の早朝に発生した阪神大震災では自治体の庁舎自体が大きく被災し、職員の参集も遅れたことから初動に遅れが生じ被害の拡大を招いたことが指摘されています。もしも発災時間が開庁時間内であったらならば中にいる多くの来庁者や職員の命を守り安全を確保しながら、適切な初動体制に移行しなければならなくなります。色々な意味で本庁舎の安全性(耐震性)は非常に重要です。
 昭和43年竣工の中野区役所本庁舎の耐震性はこれまで問題はないとされてきましたが、3月11日の震災によって目に見えるかたちでダメージを受けており、次に大きな震災が来たときに本当に耐えうるのか、これを機に改めて耐震性等の調査を行い安全性を再確認するべきではないか、そしてその結果によってはすでに決定している移転建替え計画を急ぐ必要もあるのではないかと問いました。
質問に対する区長の答弁では7月に調査を行うということでしたので、とりあえずその結果を待ちたいと思います。
2つ目の放射線問題についてですが、
 保育園や幼稚園、小学校等で放射線測定(中野区の場合は試測だそうですが)を行う際、放射性物質のたまり易い砂地や水回り(池や排水溝、雨どい等)付近での測定と子供にとって非常に怖い放射性物質ストロンチウム90のあるなしの可能性がわかるベータ線の測定をお願いしました。ただこれについては東京都から現在貸与されている2台の測定器ではガンマ線だけでベータ線が測定できないこと、区長が測定場所は東京都からの指導に従うということで、今すぐの実現は難しそうです。
 
 
 また保育園や区立小中学校の給食の食材の調達や産地の公表をを園や学校任せにせず、区がきちんと把握・公表し(あるいは公表を促し)責任をもってその安全性を区民にお伝えするべきではという問いに対しては、東京都の卸売市場(中央卸売市場など)を通った食材は東京都の厳しい検査を通ってきているので安全だとみなし、産地の把握や公表はする必要なしとの答弁が返ってきました。原発問題以前から食の産地や安全性についての関心は高まっており、民間の飲食店や小売店では使用食材の産地を消費者に公表するのはごく一般的なこととなっています。なぜ公的機関ではそういうことを怠るのか非常に疑問です。
 (ちなみに保育園を除く区立小中学校の給食の米、小麦、牛乳については東京都指定の産地や銘柄のものを使用することが決められており、どこの何が使われているかについては区も把握しています。)
 最後に中野区が保有している「常盤少年自然の家」について質問しました。ここは小中学生が夏の移動教室に利用するほか、一般区民の利用も可能な宿泊施設ですが、福島第一原子力発電所30キロ圏に隣接しているということで現在、一時休止中になっています。(この施設が所在する田村市と中野区は災害援助協定を結んでいます)私は5月に二度、田村市とこの施設の放射線量の現状を把握すべく現地に測定に行ってきたのですが、少年自然の家周辺のガンマ線の放射線量は、一度目は海から内陸側に風が吹いていたこともあったせいか年換算で20ミリシーベルトを超えており、風向きが一度目とは逆向きだった二度目の測定でも年換算で5ミリシーベルトを超えていました。
 
 
 
 
 この結果から、原発事故の収束が全く見えない中、この施設が子供たちが安心して利用できる状況ではないこと、子供たちが移動教室に利用できる少年自然の家が軽井沢にもう一か所あること、場所の悪さや認知度の低さから一般利用者の利用率も以前から非常に低いこと(過去三カ年の一般利用者数の98%が中野区民ではなく田村市民で、毎年半年間は一般利用者ゼロでした)、また老朽化した施設ということもあり、今後再開したとしても維持管理費の他にかなりの修繕補修費がかかり、区の苦しい財政状況の中でそれを賄っていくのは大変なことが予想されることから、一度専門家を派遣して放射線量の測定を行い状況を確認した上で、廃止を含めてこの施設の今後を早急に協議するべきではないかと問いました。
 
 
 これに対する区側の答弁は、施設近くの田村市の常盤行政局で放射線の測定、公表を行っており放射線量はそこの数字をみるということ、施設の今後については慎重に考えるということでした。私も知らなかったのですが、3月11日の震災で実はここの建物自体も結構なダメージを受けていたとのことでした。震災直後、区は田村市に一時避難所としてこの施設を提供すると申し出ていたそうですが(結局田村市はその申し出を辞退されました)そのことを確認した上での呼びかけだったのでしょうか。