中野区民の皆様へ
こんにちは、いながきじゅん子(稲垣淳子)です。
私と中野区の縁は、ある代議士の政治活動ボランティアに加わったことがきっかけでした。「政治を知る には、まずは現場から」と区内各地をくまなく歩き、たくさんの方々と出会いました。足を運ぶたびに 「この街いいな、この街のためにがんばりたいな」そう思う気持ちがどんどん沸き、「ここに住もう、こ こで暮らそう!」迷わず引越しを決めました。
私が産声を上げたのは、中野区から 1,000km 以上も離れた福岡県の北九州市というところです。転勤族 だった父の仕事の都合で、生まれて間もなく東京に移り、社会人になるまで、都内を中心にあちこちの 街を転々とする生活を送っていました。 たまたま訪れた中野区の、どこが良かったのか。何が気にいったのか。たくさんあります。東京の中心部からほど近いながらも、少し歩けば緑あふれる閑静な住宅街が広がっていて、個性的な商店街もある。朝日も夕焼けもきれい。そして何よりも、人の温かさ。「ふるさと」というものがよく分からなかった私にとって、ホームタウンという言葉がしっくりくる。ようやく「わたしの場所」を見つけた。そんな気がしています。
私はごく普通のサラリーマン家庭で育ちました。両親はもちろん、親戚にも政治関係者はおりません。 それがボランティア活動を通じ、地域の課題を「誰かが解決してくれる」ものから「自分たちの力で変 えていく」ものへ、そう思うようになりました。そうして挑んだのが15年前、2007 年の統一地方選挙 でした。 地盤・看板・かばんの「3ばん」が何ひとつなく、あるのはただ「中野区をもっと、良くしたい」そん な想いだけでした。初挑戦では皆さまから 1,753 票ものご支持をいただき、地域の代弁者としてはたらく機会をいただくことができました。以来、この街をもっと良くしたい。そしてこの中野区から東京を、 日本を良くしていきたい。当時の想いは今も変わらず、年を追うごとに強くなっています。
その一方でこの中野区政は、従来のお役所主導型から抜け切れず、住民の知恵や経験、やる気やパワーを活かした本当の意味での「区民が主役」の街づくりからは現在もほど遠い状況です。住民と役所と 議会がばらばらに主張し合うのではなく、皆でタッグを組んで地域の特性を活かした街づくりに真剣に取り組む。そうすれば中野区はもっともっと元気で、住みやすい街に変わっていく。 「中野はもっと良くなる」私はそう信じています。
私いながきじゅん子は、誰よりもしがらみのない、身近な区政を目指します。そして区民の皆様の「内 なる声」を丹念にすくい上げ、しっかりと区政に届けて参ります。日々の生活の中で感じていること、 区政に対するご意見などがございましたら、ぜひ気軽にお寄せください。 よろしくお願い申し上げます。

いながきじゅん子 プロフィール
稲垣淳子 JUNKO INAGAKI
昭和45年8月 福岡県生まれ A型
● 福岡県立修猷館高校入学後、父の転勤に伴い千葉県立国府台高校に転校、卒業
● 上智大学外国語学部卒業
● 会社員、翻訳業を経て、2007年(平成19年)4月の中野区議会議員選挙で初当選
以後3期連続当選で現在4期目
● 日本防災士会中野支部所属防災士
● 好きな言葉「有言実行」
● 趣味 音楽/映画/美術鑑賞、読書、ウォーキングなど
